「仕事を拒否する人」
とても有名な大学を出て才能がある人と一緒に仕事をすることができた。会社は公官庁に似た仕事の仕方をする会社である。ちょっとお役所の仕事の仕方を見た気がした。 拒否能力 できないことを引き受けるのは良くない。できないことは、できないと言うことができるのは、仕事をする上で必要な能力だと思う。これができる日本人は少ないため、貴重な能力だと思う。ただ、この能力は制御が難しい。この能力を行使する人が、怠けることに目覚めると駄目な人になってしまう可能性が高いのだ。 仕事と給料 サラリーマンは多少残業がでるかもしれないが基本的に月給である。同じ仕事時間を少ない仕事量で同額もらえるのであれば、そちらの方がその時だけを考えると得だといえる。公官庁っぽい会社なので、仕事とは関係のないところで給料が決まってしまうこともある。きっと彼は、昔そういったことで挫折を味わったのだろう。 興味のない仕事 彼は自分に興味のない仕事はしないと言う。このことを彼は誇りや自慢に思っているようだ。今まで仕事を上手く拒否できなかったことが、あまりなかったのだろう。ある意味凄いが、こんな仕事の仕方は長くは続かない。これはベストではない。ベストは、上司に自分に好きな仕事をさせるよう仕向けることだ(彼に主体性があればこれが可能なぐらいの才能はあると思う)。 口が立つ 彼は口が上手いので仕事を拒否することが上手い具合にできてしまう。しかし、まだ経験が不足しているのか、円満ではなく強引な感じが見て取れる。日本人なので当たり障りなしに、仕事を拒否することがまだできない。他人に口論で勝つことに快感を得ているようではまだまだなのだと思う。事実、彼の理論はふらついている。きっと仕事を拒否していることに対して、心のどこかで罪悪感を持っているのだろう。 将来 彼は年収何千万とかいう人になることを考えているらしい。なので今の会社でそんなに頑張らなくても良いと考えているのだろう。今の会社でも様々な経験が積めることに気がついていないような人に、そんなことも見えない人に高収入が見込めるのだろうか(学歴があれば可能な気もするが)。拒否することが得意なのは、ネガティブな思考を多く持っている点だ。それを考えても難しい気がする。 会社の影響 公官庁のような会社のため、基本的に仕事を拒否することが正しいとされているように彼は思っているようだ。まじめに仕事をしたってメリットがないと思っている。実際その会社で定年までいると考えるのであればそれは正しいと思う。しかし現代はリストラが様々な形で現れる安定しない時代に、そのような仕事の仕方では生き抜くことは難しいように思う。 本当かどうかはわからないが、そんな彼は給料が下がったらしい。彼が前向きに仕事をすれば、とても優秀な人でなれたように思う。彼は力溺れてしまっているようだ。 以上 ▲
by ma2mura
| 2007-02-13 17:08
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「人使いの荒い人」
次から次えと仕事をふられると辛くてしょうがない。一時的に拒否することができない仕事が増えてしまうのは諦めるが、そうではない場合は段々と疲れてくる。 人の限界 人は持っている能力の30%ぐらいしか使ってないという。精神統一をすれば、この通常30%しか使っていない能力を発揮することはできるかもしれないが、体や脳への負担が高くなってしまう。人がこなせる能力を測るのが難しいのは、できる限界値で、仕事量を把握していれば良いというものではないということからなのかもしれない。 自分の能力と比較 人を使うという仕事をする人の多くは、人よりも能力が高いことが多い。あるいは、能力が低くても、根性論を展開して仕事をこなしてきた人だろう。しかし、使われる人の多くはそうではない人が多い。しかし、人を使う時は、つい自分を標準に考えて必要な時間等を考えてしまう人が多いのではないだろうか。 消耗品 貧乏性なのか、人を使う時にその人の限界値まで使いきってやろうと考えている人がいる。一時的には可能だが、そういった人は長時間いかに限界値まで実行しようかと考える。しかし、多くの人は人であるためそんな限界値での動作を長時間実行できない。そのため、人は消耗品とかしてしまう。 評価 人使いの荒い人は、限界値での実績が100点と考えられて人の評価を行っている。だから、普通に仕事をすると30点(人は能力の30%しか出せないから)と評価される。こういった人に評価を期待することは無理で、諦めた方が良いように思う(たまに、自分が人使いが荒いことを自覚している人がいてきちんと評価してくれる人もいる)。 人を使うのは難しい。使われるのも難しい。 以上 ▲
by ma2mura
| 2007-01-05 17:11
| 人について
「技術力がある仕事を断れない人」
派遣をしばらくやってわかったことは、技術力のある人はなかなかいないということだった。社員で珍しく技術力の高い人にであった。彼の仕事は評判が悪い。 できる人に仕事が回ってくる 周りに技術力のある人がいない場合、どうしてもその人に仕事が集中してしまうのは必然である。一人が彼の技術力に気がついたら、あっという間に周りの人に言ってしまう。そうなると、多くの周りの人が彼を頼ることになる。仕事が一人に集中することになるのだ。いかに技術力があり他の人よりも早く仕事をこなせたとしても、人には限界がある。 仕事を断れない 彼がダントツで技術力があるため、技術力が必要で重要な仕事は彼に、優先度高くに設定されまわってくる。そんな仕事が一つであれば問題がないのだけど、意外に多数発生してしまう。彼しかできない重要で優先度が高い仕事を断るのは難しい。でも、心のどこかで、自分ならできるかもという楽観的な考えが彼の中にあるのだと思う。でなければ、引き受けられないと思う。 ギリギリでの勝負 仕事を断れない以上、過負荷な仕事量をこなすためには、品質をギリギリまで引き下げるしかない。重要な仕事でこれをやるのは、精神的に非常に負担がかかる。しかも、周りは使えないとなれば、一人で戦うことになる。早く過労死しないかなと、ネガティブに願っているように見えなくもない。 簡単な仕事もする 重要で優先度が高い仕事は緊張の連続である。逃げ出したいと考えるのは必須だ。しかし、逃げることは難しい。そういった時に、ちょっと重要な簡単な仕事をやるのだ。自分および他人に対して、仕事をしていないわけではないという言い訳が可能になる。一度やってしまうと癖になってしまう。そして、重要な仕事が少しおろそかになってしまう。だが、自分しかできないため何も状況は変わらない。 マネージャが人使いが荒く、技術力が高い人が少ない場合に起こることだと思う。やはり最大の責任はマネージャにあると思う。 以上 ▲
by ma2mura
| 2007-01-05 16:31
| 人について
「とても正しく几帳面な仕事をする人」
会社とはなんといい加減なところで、世の中はこんなに人達によって動かされていると、社会人になって最初に思った。これは不祥事が生じてもしょうがないだろうと感じた。 先が見える 今まで僕が見てきた会社での仕事をする人の多くが、先が見えずに「とりあえず」の一言で先に進み、進んだところで問題点をなんとなく解決していくという方法をとっていた。彼は、仕事をするにあたり何が必要なのか先にわかるという能力があるらしい。割り当てられた仕事ですべき事を、初期段階で列挙できるのだ。計画を立てる能力があるといったところだろう。 方向転換 優れた計画を立案する人は、計画の修正も素晴らしい能力を発揮する。計画とは所詮計画であるということを理解しており、間違っていた場合には、それを綺麗に修正することができるのだ。行き当たりばったりの修正ではなく、あたかも最初から計画に組み込まれていたかのようにだ。初期段階で綺麗に計画が立てられなければ、修正も綺麗にできないはずだ。 最適化 すべきことが列挙できた段階で、それらを実行する順番の最適化を行う。待ち時間が多くかかるだけの仕事は最初に行っておくとか、そういう計算が上手くできる。普通の人は、一番大きく重要な仕事から取り掛かってしまう。彼は、目先の事だけを考えずに順序が必要なものを先に行うのである。まるで教科書通りで、一見使えない正論を、実際にやってみせるのだ。 目的の重要性 彼の脳の中で仕事に関するすべきことについて、目的が明確になっているのだと思う。目的つまり要点とも言うかもしれない。だから、目的を正確に理解しているため、順序や修正が簡単に可能になるのだと思う。 杓子定規 教科書通りの仕事をするということは、杓子定規に仕事をすることになる。融通が利かないコンピュータのように思われてしまう。目的が仕事を達成することではなく、正しく仕事をこなすことにおかれているため、融通が利かないことが正しいと思ってしまっているのだろう。しかし、間違っていないため周りの人は否定することができない。 正しくない人を許せない 彼がこんなにも正しく几帳面に仕事をすることができるようになったのは、自分は絶対に正しくあるべきという思いが強いからだと思う。彼の周りで、非効率であったり目的が良くわからないこと(不要な仕事)する人や、身勝手なことをする人が、とても許せないようだ。しかし、世の中の多くの人は、彼のように綺麗に仕事をすることはできない。 機械のように正確に仕事ができたとしても、仕事をする相手が人である限り、上手く仕事ができないようだ。もっとも周りの人が彼レベルの仕事ができれば…。 以上 ▲
by ma2mura
| 2007-01-05 15:40
| 人について
「うつむいて歩くような人」
前には進んでいるのだけど、うつむいて歩いていると半歩先ぐらいしか見ていない。そんな人を見かけた。 半歩前 うつむいて歩いている人は、半歩ぐらいしか前を見ることが出来ない。しかし、見えているだけ何かあったときに、対処することができる。反射神経さえよければ、ぎりぎり問題が発生したときに、避けることが出来る。誰かが、先導をしてくれたり、流れについて行くだけであれば、これで十分なのかもしれない。 楽しいのか 周りの状況が見えていない状態では、景色を楽しむことはできない。ただ黙々と前に進むだけである。それって楽しいのだろうか、疑問に思う。前に進んでいるというだけの、とりあえずの単なる充実感で、進んでいるのだろう。 周りの状況 半歩先しか見えていないのか、半歩先しか見ないでいるのか、どちらなのかはわからない。なんとなくだが、両方なような気がする。周りの環境を見ることができれば、困難を避けることが簡単にできるし、素晴らしい景色も眺めることができることもあるだろう。それをしないのは、もったいないと思う。 歪んだ快感 人は同じ状況が長く続くと、それを楽しみ始めてしまう傾向があるように思う。この場合、半歩しか先を見ないで進むことが、段々と楽しくなり始めてしまって、周りをみることをやめてしまっているようにも思う。こうなった後に、周りを見るようになるのは、難しくなってしまうのだと思う。 半歩前しか現実を見ることができない人は、多くの困難を避けては通れない。もっと先を見て欲しい。 以上 ▲
by ma2mura
| 2006-09-30 18:53
| 人について
「頼まれたことをやらない人」
相手が誰であろうと、頼まれたことをやろうとしない人を見かけた。 矛盾 彼は、多くの仕事を抱えていて、とりあえず仕事を頼まれると断ることをしない。「頼まれたことをやらない」と「仕事は断らない」が彼の中で同居しているのが面白い。仕事は断らないが、メール一通書くお願いは聞いてはくれないのだ。 言い訳 頼まれたことをやらない、彼なりの理由は「忙しいから」であると考えられる。仕事を断らずに多数抱えていれば、忙しいためやらなくて良い理由として、一見正当にみえる。実際には、やっかいな頼まれごとをやらないために、多数の仕事をやっているのだろう。 才能 彼の技術力は平均以上なので、ちょっと難しい仕事をあっという間にこなせる。でも、ちょっと苦手な仕事はまったくやらないのだ。周りの技術者のレベルが低いのもあり、自分が評価されていると、とても感じることができる。この才能が、彼の「頼まれたことをやらない」を修正しなくても、やっていけると思わせているのだろう。 逃げ切り 仕事を明確にしない曖昧なやり方をした場合、頼まれたことをやらないと、痺れを切らした誰かがしょうがなくやることになる。指示を行わなくても、自分のタスクを進めるために、権限等がなくてもしょうがなく、仕事を行ってくれるのだ。それを待って、逃げ切ってしまう。彼の周りは、ほとんど我慢大会を行っているようなものだった。 頑固 頼まれごとはとりあえず口では、「やります」のように言うが、結局はやらない。内面では凄いプライドが高く頑固なのだろう。普通よりもプライドが高く頑固なため、周りと協調して生活するために、とりあえず周りに同調するという、表層のシステムが幼い頃に形成されたのだと思う。なので、期待を裏切ることは、昔からやっているため、罪悪感が全くないように思う。 結論として、彼はプライドが高く頑固、やりたくないことは死んでもやらない。けど、周りと仲良くしたい寂しがり屋なのだと思う。 以上 ▲
by ma2mura
| 2006-09-19 22:50
| 人について
「寂しがり屋の仕事好きの人」
仕事は人に何かをしてあげること。社会貢献の一つであると言える。その仕事が好きだというのは基本的には悪いことではない。だからといって、周りを無理に取り込むのは良くないことだと思う。 仕事が好き 社会に貢献したいとか、お金を稼ぎたいとか、そういうことに関係なく、ただ単に仕事が好きであるという人もいる。こういう人は、ただ単にずっと仕事をしていたいらしい。仕事がなくても、必要もない仕事をしようとするのだ。必要もないのに凝ったことをしてしまい、後工程での工数が増えてしまったりする。仕事はなるべく減らそうとしないと、増えるものなのだ。増えた仕事は、他の人も巻き込んで処理せねばならず、多くの人に迷惑がかかる。 文句を言われない 多くの場合、「仕事だから」と言えば周りの者は、仕方がないと納得する。つまり、プライベート等でやりたくないことがあれば、「仕事だから」と言えばやらなくてよくなるのだ。こんな便利な言い訳はなかなか存在ない。多くの人が仕事をするのは、こういった便利な面があるからなのかもしれない。 プライベートがない 退職したサラリーマンは、何をして良いのかわからず、呆けてしまう人がいるという話を良く聞く。ずっと仕事ばかりしていると、プライベートが存在しなくなってしまい。仕事以外ができなくなってしまう現象だと思う。たまに早く帰れたとしても、プライベートで何して良いのかわからないのだ。それでまた仕事をしてしまう。 周りを巻き込む 恐ろしいことに、寂しがり屋で仕事好きな人は、周りの人も多く仕事をして欲しいと思うらしい。多くの仕事を作り、仕事を難しくし、多くの人にやらせたくなるようだ。独りよがりな連帯感を感じている自己満足の固まりになっている。 仕事好きな人の多くは、無駄に仕事をしたがるため効率が悪い。そして、周りを巻き込んで仕事をしたがる。好きなことをやるのはかまわないが、人に迷惑をかけるのは止めて欲しい。 以上 ▲
by ma2mura
| 2006-06-26 01:11
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「一つの真実しか見えない人」
世の中に争いが絶えないのは、真実あるいは正しいことが複数あるからだと思う。 見える リーダーをやっている人で、口先だけの人だという噂の人と話をすることができた。彼は、人と議論している時に、その人が突っ込まれると困るところが見えてしまうと言っていた。そこをわざと突っ込むようにしているという。その方が、自分の意見に対しても同様のことをしてくれるからだそうだ。もっと上手くやれるように思うが、こういうやり方もあるのだろう。 彼の真実 彼は学歴も良く出世も速い。頭が良いので、きっと自分の言っていることが正しいことが多いのだろう。プライドも影響し自分が常に正しく、人が間違っていると思いこんでいるのだろう。その自信を裏付けるように、彼の真実は正しい。その正しい彼の真実を周りに押しつけようとするのだ。その真実は、彼にだけ有効な真実とは彼は知らない。 へりくつ 真実とは、場合を限定した局所的な箇所にのみ有効なものであると思う。多くの修飾が必要となり、言葉が足りないと複数の真実が存在するように見えてしまうものであるように僕は考えている。局所的にしか有効ではない真実を、それとは知らずに彼は大きな部分で使用してしまっている。 簡単に例えると「彼は優秀だ」といった具合にだ。本来は「彼は数学に関して優秀だ」と言えばかなり限定できる。彼が国語が苦手だったとしたら、国語の得意な人から見れば「彼はあまり優秀ではない」と映ってしまう。数学という修飾を行わずに、他人にそれを押しつけても、彼は間違っていなくても、それは間違いで、それはへりくつとなる。 自分でも否定できない 彼は、自分で言っていることが間違っているが、自分でも否定することができないでいる時があるようだ。だから、周りからの意見が欲しいところがある。自分で否定できないレベルのへりくつを考えついているみたいだ。周りの環境が悪いのかもしれないが、自分で気がついて欲しい。 アインシュタインもへりくつばかり言っていたようだ。彼の才能はたいしたものである。将来に期待したい。 以上 ▲
by ma2mura
| 2006-05-28 14:30
| 人について
「後ろに目があるような人」
斜め後ろに座っている人は、後ろを通ろうとしたり通行に邪魔になりそうなものを置いていたりするとさっと避けてくれたりする。良くあるように思うが、振り向かなかったり視線を向けないでやってのける。 目で見えるもの 視神経のほとんどがモノクロだけを感じることができるものだそうで、目線の3%程度がカラーを感じることができるそうだ。それなのに何故全てがカラーに見えるのかというと、それは記憶からの推測で脳が補正しているからだ。そう、カラーの世界は脳が作り出している仮想空間だということだ。 視野 見えるもののほとんどが記憶からの推測であるならば、視野は記憶力によって決まるものだと考えられるのではないだろうか。音についての記憶も多数あれば、つまりはどの音がどんな映像を作り出すのか知っていれば、目で見えていなくても、脳の中では見えているのではないかと思う。 同時にいくつか 確認のため後ろを振り返るのが普通なのに、振り返らないのは恥ずかしいからか、面倒だからなのだろう。また、周りを気にして気を遣いながら、別の仕事ができるということでもあるだろう。そういう人はたいてい同時に違うことを考えることができる人が多いと思う。 振り向かなくてもわかるのかもしれないが、人として振り向いた方がいいような気がする。 以上 ▲
by ma2mura
| 2005-12-02 23:54
| 人について
「死んだばあさん」
そろそろお盆。3年ぐらい前に死んだばあさんの墓参りに行こうかと思う。 言葉 死んだ人は、生きている人の心に生きるというのがそれを最近実感している。僕の言葉がどこからきているのか考えると、ばあさんが言っていたことを引用していることが多いように思う。僕は小さな頃ばあさん子だったというものあるのかもしれない。今思えば子供に言うようなことでもないようなことを、子供である僕に言い聞かせていたところがあるように感じる。 年寄りは恐ろしい ちょっと知識をつけた中学生ぐらいから僕の反抗期が始まっていると思う。ばあさんとじいさんとの口喧嘩が増え始めていた。ろくに知らないのに言い当てられることになる。中2の僕は経験の浅い両親よりも、年寄りの方が恐ろしいと感じることになった。時代の差により半分は間違ったことを言うが、半分は真に迫るものがあった。人の話を聞くことの有効性に気がついた時代だ。 時間差 心に残った言葉は、時間と共に理解し始めた。歳を取るに従い様々なことを経験するが、経験するとばあさんが言っていたことの意味を身体で理解するようになる。問題が起こったときに、ばあさんの言っていた言葉が思い起こされ、あれはこういう意味だったのか等のようにだ。ばあさんから聞いたときに、ある程度対策について考えていることが多かったので、人よりも一歩進んで解決することができることが多かった。今で言うコーチングをされていたのかもしれない。 このブログにも、ばあさんの言ったことについてまとめたことがある。人の心に生きるというのを最近実感している。 以上 ▲
by ma2mura
| 2005-08-08 02:43
| 人について
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