「助けてあげること」
助けてあげるという行動は、どこまでがその人のためになるのだろうか。過保護との境界線はどこにあるのだろう。 助ける 相手が助けを求めているから、あるいは困っているから助けてあげるという単純な行動をとるのは相手のためになるのだろうか。助けが必要なのは、たいてい自分が失敗しそうかあるいは失敗してしまったかのどちらかだと思う。助けのレベルもピンきりだと思う。 結果 助けた結果、本来はもっと失敗していたのに助ける行為は、失敗することを免れてしまうことになる。成功よりも失敗から学ぶことが多いのに、助けることによって少ししか学ぶことができなくなってしまうことになるのではないだろうか。つまり成長の妨げになる可能性がある。助けるのは失敗してからが良いのかもしれない。 感謝の気持ち どれくらいどうしようもなく困っている人で、どれくらい助けてあげたとしても感謝の気持ちのない人がいる。そういう人はどうしようもなくなっても、きっと助けてくれる人がいると信じているためだからだと思う。そして、助けなかった時は逆恨みするが、助けてくれた時にはそれがあたかも当たり前のように思っているのだろう。 エスカレートする 一見恩着せがましいと思うかもしれないが、助けてあげたら感謝されなくてはいけない。感謝のない助けは、習慣性を持ちそれが当たり前だと思いはじめてしまうからだ。当たり前になった助けは、相手を傲慢にさせより多くの助けを強要させられる。エスカレートしはじめ、耐え切れなくなった時関係は破綻する可能性が高い。相手は逆切れし、自分はそんな相手を嫌いになってしまう。この覚悟があれば、感謝されなくても問題はないが関係を維持したいのであれば、感謝されなくてはいけない。 対価は必要 感謝の気持ちを形にしてもらう必要があるように思える。金銭とは言わないまでも、どのような形でもよいし、どれくら時間がかかっても感謝の気持ちを形に表す必要があり、表してもらう必要がある。それが人と人との関係につながると思う。片一方への依存はバランスが悪い。助けられた方は肩身の狭い思いをするかもしれないし、助けた方も気を使うことが多いだろう。 手塚治虫のブラックジャックが、高額の手術料をとるのもこの辺に理由があるのかもしれない。 以上
by ma2mura
| 2005-01-12 21:59
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