「罰を与えるということ」
注意しても言う事をきかない人には罰を与える必要がある。罰を与えることは、その人に対して強制を行うということで、責任が重い行為だと思う。できれば避けたいことだ。 罰を与える人 注意だけの場合は、責任があまりないと思う。言っているだけなのだから、少しかもしれないが、言う事をきかないという自由がまだ残されている。しかし、罰を与えるということは与える側の人の思いを強制することになる。責任が重いのだ。 ムカついたからの罰 ムカついたから罰を与えるというのは、避けたほうが良いだろう。感情的な部分が大きく、間違った判断で罰を与えることになりかねない。なぜなら、罰を受ける側が、ムカつかれて罰を受けたと思うからだ。次から、罰を受けた人は、罰を与えた人をムカつかせないように行動をとることになるだろう。本当の罪の部分を理解せず罰を与えた人の顔色を伺うことになりかねない。重要なのは、なぜムカついたかというところを強調すべきなのだ。 罪と罰 罰を与える理由、罰を受ける理由は、罪を犯した人が自分で自分の罪の重さを理解することにあると思う。人は自分で感じないと、つまりは自身で体感しないと自分が犯した罪を理解できないのだ。足を踏まれないと、足を踏まれた人の気持ちがわからないように。 罪をきちんと理解してもらうために罰を与える。だから、罰を与える時には罪について正確に説明して納得してもらわないといけない。でないと、何度も同じ罪を犯すことになるだろう。 罰を受ける人 罪を犯した人間は、罪悪感を持っていた場合罰を受けたがる傾向があると思う。そこでキチンと罰を受けておかないと本人としてもつらいものがあるようだ。他にも自分で犯している罪を止めることができず、罰して欲しがっている場合もある。 罰の重さ 自分の犯した罪の重さをどれくらい理解しているかによって重さは変わると思う。だから、罪を犯した人の動機や、その後どのような気持ちになったのかを知る必要がある。 罪を与えるということ 罪を与えるということは責任が生じる。罰が重すぎたり、きちんと理解してもらえなかったりすると、逆切れを起こされる可能性だってある。罰を与えるということは、かなりの労力とリスクを伴う行為だ。罰を受ける人間はそれを理解して欲しい。 以上
by ma2mura
| 2004-11-15 14:05
| 考えたこと
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