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スキー&スノーボード2004-2005

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初めての観察の記憶

 「初めての観察の記憶」


 今でも憶えている出席番号3番の女の子が小学生時代に好きだった。その時から、僕のラッキーナンバーは3と決めている。

初めての観察
 自覚する最初に人の観察を始めたのは、小学校の時に好きな女の子がゴシップ好きで、どの子がどの子を好きだというのを聞いて回っていることに気がついたときだ。僕はその時、僕はその時、人は嘘をつくということを学習したばかりで、聞いて回っても正直に話すことは少ないと思っていた。正直に話しているか否かは結局のところわからない。

態度こそ全て
 当てにならない人の言葉を根拠にするよりも、すべては行動に出てしまうのではないかの根拠に基づいて推測をすることにした。この理論から導かれて、誰が誰を好きかというのを考え、彼女に話すと「どうして知ってるの?」との返事が返ってきた。幼い僕の、彼女との会話を増やすという計画は思惑道理に成功したと言える。

行動の理由
 クラスの人達の行動を常にチェックし、不可解な言動がないか確認する。自分が話をしていても、他の人の話を聞いて、その人が何を考えているのかというの常に記憶しておく。こう書くと、大変そうに思うかもしれないが、小学生の会話など馬鹿みたいな会話しかしていない。たいていは、いつもと変わらない話ばかりしているので、努力すれば簡単にできるのだ。そこから、行動の理由を推測していけばある程度の観察は出来てしまう。好きな女の子のために努力するのこそ、労は感じないものだ。

年齢と学べるもの
 年齢に伴って経験しなければいけないものは、決まっているのではないかと思う。小学生の好きな人を当てるのは、小学生が経験不足により感情を見破られないようにする技術が劣っていたから、わかりやすく表に見えてくる。これを始めたのが、社会人になってからだとすると、思っていることを隠すのに優れた人達の思いは観察は難しい。最初のハードルが高くなってしまっている。


 詳細は書かないが定説通り初恋は悲しい結果に終わった。彼女を最後に見たのは成人式の時で、変わらずに恋愛好きな女の子をやっているようだった。


以上
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by ma2mura | 2005-08-20 00:45 | 考えたこと

社会貢献

 「社会貢献」


 自分の好きなことで、本当はしなくても良いことをしているのは楽しい。好きなことやっているが、30歳を越え始めて少し虚しさを憶えた。

自由
 昔は大学生が自由であると言われていた。今では、転職がしやすくなったこともあり会社を辞めても、そんなに問題にならないので、社会人にも多くの自由が出来てきた。学生よりも収入もあるので、やりたいことをやることができる。大人は昔よりも自由になったと思う。

好きなこと
 自由とは自分の好きなことをやっても良いことに近いように思う。自分のために使える時間のことでもあるように思う。自分のためだけの好きなことは、ある程度の年齢を越え始めると虚しさを伴い始める。例えば「30を越えて、まだそんなことやってるの?」という感じだ。特に結婚をしていない場合に、批判の対象となる。なぜだか多くの場合批判するのは既婚者が多い。半分はねたみに近いところがあるのだろう。

社会貢献
 仕事をすることや、結婚して子供を作るというのも社会貢献であるし、もっと直接的には地域のボランティア活動をするのもその一つだ。30歳を過ぎ始める、自分のためだけに好きなことをやっていると、なんだか自分が無意味な人のように感じ始めてきた。自分の好きなことが人の役に立たないからだろう。人が社会性を持つ動物であることを実感している。

意味
 人は生きていることの意味を探すことが好きだ。多くの人の生きている意味は、子供を育てることにあたる。それは人として最大の目標であるからなのだろう。それを否定した人は、生きている意味を見いだすことに苦労することになる。多くの人のために、何か役に立つようなことをすることは非常に難しいからだ。


 社会人になってから有名大学の真面目なサークルのような団体に所属していたことがある。その学生たちは、社会貢献という言葉が大好きだった。今頃その意味が少しずつわかり始めている。


以上
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by ma2mura | 2005-08-14 05:22 | 考えたこと

得意なこと

 「得意なこと」


 人にはいつのころからか得意なことが存在し始める。それは自発的に発生するものもあれば、他の人に褒められたりすることで発生するものもある。

定義される
 色々行動をしていると、自分の個性について自分なりに考え自分を定義することができる。あるいは行動すると多くの人々との関わりを持つことで、他の人から自分の個性を定義されることになる。その定義は、自分の得意分野であったり不得意分野であったりする。その定義を受け入れるかどうかは、自分次第なところが多い。

長い時間
 人から褒められたり、自分の好奇心により突き動かされたりして得意分野は、磨きがかかる。それが長時間に維持されれば十分本当の意味で得意分野になる。時間をかけて形成されたものは、なかなか崩すことができなく、揺るぎないものになり始める。

しがらみ
 長時間育成された得意分野は、自分が好むと好まざるとその分野から離れることが難しい。それは得意分野を生かせば、他の人からの評価を得ることが実績として証明されているからだ。自分としてもあるが、他から見てもそういう得意な分野を持っている人を必要としている人がいる。需要があり、嫌いでなければ流されてしまうことが多いだろう。

逃げる
 未経験なことに挑戦して少しでも失敗したときに、つい得意分野に逃げ込んでしまいがちになる。その得意分野が評価されていればされているほどにこの傾向は強くなる。そのために、未経験なことに挑戦することが少なくなってしまう。歳をとり得意分野が洗練されればされるほどに、この傾向が強くなってしまうのではないだろうか。


 31歳を間近に控え、新しい分野に手を出すことを嫌がっている自分がいることに気がつく今日この頃である。


以上
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by ma2mura | 2005-08-10 02:27 | 考えたこと

ストレスとエネルギー

 「ストレスとエネルギー」


 最近地震が多い。地震は地球のプレートとプレートの摩擦によってストレスがたまり、そのストレスがエネルギーに転換して起こったこと。

活動
 人が動けばそこに摩擦が生じ何らかのストレスが発生する。ストレス無く過ごすことも確かに重要かもしれないが、本当にストレスが無い世界は楽しいのだろうか。僕はそんな世界は、逆に無気力な消極的な破滅に向かう世界なのではないかと思う。つまり退屈な世界なのではないか。ストレスは重要なエネルギー源の一つなのだと思う。

ストレス解消
 仕事などで貯めたストレスを解消するという行為をしているようだが、それはもったいない話なのではないだろうか。車で加速して、ブレーキで加速した運動エネルギーを熱エネルギーに変換して捨てるぐらいに無駄な行為だと思う。しかし、いらないエネルギーをため込むのは確かに危険な行為だ。充電池に例えれば、過充電してしまい液漏れして、充電できなくなる現象と似ているのかもしれない。

転換
 貯めすぎなければストレスをエネルギーに変えることが可能。人が活動すればストレスを生む。ストレスをためれば活動に必要なエネルギー源になり、再び活動への転換ができる。活動的な人のエネルギーの転換の法則なのだと思う。そう、活動的な人はストレスを上手く使っているのだろう。

上手く変換しすぎ
 通常であれば、本当はストレスをため怒りに狂ったりする箇所でも、自分の好きなことにエネルギーを上手く転換してしまい。怒りのエネルギーに使うことが出来なくなってしまうこともある。怒らなければならない場所もあるため、変換しすぎることも危険性が潜んでいる。何事もほどほどに。


 政治や仕事、色々な意味で今日本はストレスを貯めていると思う。改革という方向にエネルギーを向けずに、夜な夜な居酒屋に行ったり、レジャーを楽しむことにストレスの解消を向けていては、前に進めないように思う。現実を見る必要がある。


以上
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by ma2mura | 2005-08-09 02:12 | 考えたこと

死んだばあさん

 「死んだばあさん」


 そろそろお盆。3年ぐらい前に死んだばあさんの墓参りに行こうかと思う。

言葉
 死んだ人は、生きている人の心に生きるというのがそれを最近実感している。僕の言葉がどこからきているのか考えると、ばあさんが言っていたことを引用していることが多いように思う。僕は小さな頃ばあさん子だったというものあるのかもしれない。今思えば子供に言うようなことでもないようなことを、子供である僕に言い聞かせていたところがあるように感じる。

年寄りは恐ろしい
 ちょっと知識をつけた中学生ぐらいから僕の反抗期が始まっていると思う。ばあさんとじいさんとの口喧嘩が増え始めていた。ろくに知らないのに言い当てられることになる。中2の僕は経験の浅い両親よりも、年寄りの方が恐ろしいと感じることになった。時代の差により半分は間違ったことを言うが、半分は真に迫るものがあった。人の話を聞くことの有効性に気がついた時代だ。

時間差
 心に残った言葉は、時間と共に理解し始めた。歳を取るに従い様々なことを経験するが、経験するとばあさんが言っていたことの意味を身体で理解するようになる。問題が起こったときに、ばあさんの言っていた言葉が思い起こされ、あれはこういう意味だったのか等のようにだ。ばあさんから聞いたときに、ある程度対策について考えていることが多かったので、人よりも一歩進んで解決することができることが多かった。今で言うコーチングをされていたのかもしれない。


 このブログにも、ばあさんの言ったことについてまとめたことがある。人の心に生きるというのを最近実感している。


以上
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by ma2mura | 2005-08-08 02:43 | 人について

一人で先に行く人

 「一人で先に行く人」


 時々強調することなく先にあるいは勝手に先に進みどこかに行ってしまう人がいる。

見て欲しい
 一人で正しい答えを導き出し、一人でそれを証明できるならば、それは一人で高い評価を得るということだと思う。一人で勝手にどこかに行ってしまうというのは、一人で行くことで周りの人よりも高い評価を得たいという思いが裏に潜んでいるように思う。一人で目立ちたいと考えているということだ。人は皆自分の方を見て欲しい。努力の仕方は、人それぞれな用に思う。

話すよりも
 こういう行動をする人に無口な人が多いと思う。正しい行動を思いついたときに、周りの人にも教えるように思うが、口べたな人にはどんなに正しい行動だと思っても、それを上手く説明することがでなく、しょうがないので実際に自分でやってみせるという習慣がついているのかもしれない。

されたことがない
 自分がいつも先に行ってしまうので、置いてけぼりに自分はされたことがない。だから、残された人の気持ちや勝手にやられてしまう人の気持ちを知らないでいるのではないだろうか。知らないものは理解することができない。あるいは、勝手に行ってしまう人を見て感情的になって、自分が同じことをしているとは考えないのだろう。

行動力
 勝手にやってしまうということで、協調性は低いかもしれないが、一人で物事を進められるというのは行動力があると言える。一人で正しい答えを導き出してしまうが、協調性がないということは、一人でしか正しいことを実行できないと言える。この性格で、仕事をした場合一人だけに負荷がかかって、一人だけ夜中まで残業するしかない状態になることが多いだろう。行きすぎれば、出来ない人のこと馬鹿にしてしまう。


 大勢でやった方が早いことが多い。一人だけ賢いのであれば共有すべきで、その方が後々ものごとを進めやすくなる。賢いのだから、より高度な目標を持って欲しい。


以上
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by ma2mura | 2005-08-06 23:30 | 人について

かなりの負けず嫌い

 「かなりの負けず嫌い」


 負けず嫌いは必ずしも悪いとは言わない。勝つために努力するというのは良いことのように思う。しかし、勝つためにけ落とすというのはどうかと思う。

レベルアップ
 勝つための努力として己を鍛えることは、非常に素晴らしい行為だともう。人は常に成長を必要としている。それは年齢によって学ぶことがあるためだ。「40にもなってとかあれはないよな」とかいうのが、その証拠だと思っている。学んだ上で、それが嫌で拒否しているのは問題がないが、単に学ぶことをせずに怠慢によって学ばないのは、後々問題が起こることが多い。

誤魔化す
 相手に自分が絶対勝てないと思ってしまった場合、しかし絶対に自分は負けたくない場合、勝負の方法を変えて相手に勝とうとする人がいる。方法を変えたことを上手く誤魔化す技を持っていて、自分の得意分野や言葉の揚げ足を取ってでも勝とうとするのだ。勝つ理由はすべて自分への言い訳に近い。方法は人によって異なるが、最近出合った人の手法は相手に勝っている部分を繰り返し語ることだ。そうすることで、負けたと思った事実を勝った事実で書き換えてしまうのだろう。

認められない
 負けず嫌いは、悔しくて悔しくて負けていることを認めることができない人でもある。負けそうになると誤魔化すのだから、潜在意識的には負けるということを認識しているが、意識的には負けを認めることができない状態でいることが多いように思う。潜在意識と意識の食い違いの歪みは、何かあったときに問題になるだろう。

周りへの迷惑
 負けることに敏感になる。自分が負けそうになると、しつこく人を攻撃したり嫌ったり嫉妬に狂ったりする。これは人の和を乱す行為といえる。しかし、負けず嫌いということを本人は認めない以上、本人的にはそういったことは存在しないことになっている。全ては、周りのせいになる。


 負けず嫌いの人は努力家である。それは高い評価を得てしかるべきだと思う。負けそうになったときに迷惑をかけるのは問題だ。もっと自信を持って欲しい。

以上
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by ma2mura | 2005-08-04 00:53 | 考えたこと

血のつながり

 「血のつながり」


 母方のじいさんの葬式があった。火葬している間、知らないおじさんたちと話していたら、曾祖父が理系であったということがわかった。彼らに言わせれば僕はその血を引いているのだそうだ。

血縁
 あまり詳しくはないが、競馬は血統がかなりその馬の評価につながっているようだ。友人がダビスタとかいうゲームをやっていて言っていた。品種改良のように血を混ぜて、良い馬を使っていくゲームだ。動物は本能に生きているので、遺伝子は非常に重要なファクターになるのではないだろうか。人間ではどうだろうかと考えると、動物と大差ないぐらいに関係するのではないだろうか。

意志
 ある程度の突然変異はあるが馬は血統によって、気性が荒いとか温厚などの性格が決まってくるのだという。環境によって少しは教育することができるかもしれないが、基本的な性格は変えることができないようだ。とすれば、血によって多くの行動がプログラムされていると言えるのではないだろうか。僕が今自分の意志で字を書いてはいるが、これも血によって決められており自分の意志で決めているというのは、錯覚なのかもしれない。

世襲制
 血によってある程度の人格のプログラミングができるのではあれば、世襲制というのもあながち捨てたものではなかったのかもしれない。得意な能力を持っていなくては、成功者になることは難しい。その能力を持った子供であれば、同じ能力を発揮できる可能性が高いと考えることは必然だろう。また、同じ能力や考え方が似ていれば、意思を共有することは難しくない。仲間に加えようと考えるのは自然の流れと言える。

利用
 血によって受け継がれてしまったものは、治すことは困難だ。治すことができないのであれば、上手くつきあっていく、あるいは利用するしかないように思う。長所はある意味短所でもある。その逆もしかりだ。利用できないと言うことはなかなかない。利用方法を知ることが、自分の居場所を見つける行為なのかもしれない。そういう意味では、両親の職業や生活のスタイルは参考になるだろう。


 プログラムされてようがいまいが、どちらであろうとしたいことはしたいし、したくないことはしたくない。それは些末な問題なのだ。


以上
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by ma2mura | 2005-08-03 01:31 | 考えたこと

人の噂をする人

 「人の噂をする人」


 噂好きな人が多い。それはスポーツ新聞やゴシップ雑誌が多数売れていることが、それを証明している。

人の噂
 人と何人かといるときには、何か話をしなければ場が持たないことが多い。話さなければいけないが、自分の話はしたくないとき、人の話をするのが一番簡単に難を逃れることができる。良い悪いのどちらでも目立つ人の話をしておけば、面白い話をしたことになる。

自分の話がない
 自分で何もしていない時、あるいは自分に自信がない等の理由で自分の話をすることができない人ほど、人の噂をするのではないだろうか。自分に自信があり、何かに一生懸命やっている人は日々何かありその話をしたがるだろう。その話を聞いた人が、つまらないかそうでないかは別としてだ。

ディスカッション
 人と話をしていると、各々刺激され新たな発想を生み出す。自分の話が本当になく、人の噂ばかりをしていれば、同じ現象が起こり人との話で刺激され最初小さな話だったはずが、尾ひれがつき根も葉もない噂が生成される。自分に問題があって話ができなければできないほどに、人の話をしたがるのではないだろうか。

自己顕示欲
 普通、人は自分のことを気にして欲しがるもの。だから、基本的には自分の話をしたいのだと思う。それをしないのは、相手には自分の話を興味を持って聞いてもらえないと感じているのではないだろうか。つまり自分に自信がない状態といえるのではないだろうか。


 噂を聞くのを単なる興味だけである人と、それをネタにしている人がいる。そういう人はえてして自分の話をしたがらないのではないだろうか。

以上
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by ma2mura | 2005-08-01 22:23 | 人について



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