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スキー&スノーボード2004-2005

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下を見ればきりがない

 「下を見ればきりがない」


 上を見ても下を見てもきりがない。だから上を向いていた方が前向きでいられるように思う。

自分の上下
 世界を見渡せば、日本人と言うだけで多くの幸せを享受されている環境にあると思う。世界を見渡せば、もっとお金持ちな人々も多くいる。世界を見渡せば、何のために生きているのかわからず餓死して死んでいく人達もいる。上を見ても下を見てきりがないぐらいに世界は広がっているように思う。

もっと悪い環境の人はいる
 こういった発現にはその後に続く言葉が二つに分かれるように思う。一つは、「まだましな方だから頑張ろう」という前向きな発言。もう一つは、「だから我慢しよう」という後ろ向きな発言だ。あまり大差がないように思われるが、大きな違いがあるように思う。

まだましな方だから頑張ろう
 どんなに立たされた立場が悪くなろうとも、もっと困難なこと環境にいて頑張っている人がいると思えば、頑張ることができる。上を向いて自分を向上させようと努力している、そういう前向きな言葉。

だから我慢しよう
 まだまだ悪い環境の人は沢山いるから、自分はましな方で特に環境を良くしよう等と考えなくても良いという考え方。向上しようとしなければ、重力によって下へ下へと導かれていくことも知らずに落ちていく。現状維持はある程度の向上心がないとできないように思う。自分がどれだけ落ちようが下にはまだまだ数え切れないほどの人がいる。

もう一つ
 自然体とかニュートラルとかの人がいる。続ける言葉は「そんなのどうでもいいじゃん」になるのかもしれない。ある意味悟りに近い考え方なのかもしれない。昔いた「パフィー」のような気の抜けた感じの人達だ。周りとは関係なく自分の道を持っている人でないとこれはできないのかもしれない。


 悲しい言い訳をしないで欲しい。上を向いて歩いていきましょう。

以上
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by ma2mura | 2005-04-29 01:51 | 考えたこと

ビジョン

 「ビジョン」


 日本人は将来のビジョンを考えるのが苦手なのではないだろうか。

江戸時代の長屋から
 江戸時代にあった長屋は、計画性を持って作られたものではない。人が増えるに従い適当に継ぎ足されたものらしい。交通の便とか考えずにその時に必要な分だけ継ぎ足されたので、できあがってみればむちゃくちゃなものができてしまったようだ。現代でも適当に作られたとしか見えないものが残っている。それは、東京の鉄道だ。むちゃくちゃに適当に作られたのか、利用するのが凄く難しい。

外来のものから
 長屋に対して、京都の町並みは中国に習って計画的に設計された都市であると思う。日本の外にある具体的な都市を見本として作成された。ここから分かることは、都市化する時に具体的に何をしなければいけないのかビジョンを明確にできないからではないだろうか。中国に行ってできあがったものを見て、それをまねることはできたわけだ。

将来のビジョン
 誰でもが考えつくようなありきたりな目標を設定することはできるかもしれないが、明確なビジョンを持つことができるリーダーがいるとは思うがかなり少ないように思う。計画が行き当たりばったりか、抽象的なことしか言えない人がリーダーであることが多いように思う。つまり、リーダーも直前になるまで何をすれば良いか明確できないと言うことだと思う。

批判家
 シニカルで後ろ向きな批判家が多いように思う。リーダーがせっかく少しは明確なビジョンを提示することできたとしてもそれを批判する人が多い。本当に将来のことを考えるのであれば、提示されたビジョンをより具体的にするように切磋琢磨してより良いものを作るように関係者が振る舞うのが正しい姿のように思う。

透明性
 どのように物事を進めていくのかを明確にすることで人々が安心を覚える。現代のように犯罪が増えてきた時代。騙されないためにも、様々なことに随時監視する必要があるように思う。具体的なビジョンを聞くことが不安を取り除くために有効な事だと思う。それが透明性につながる。


 それでも高度成長できた日本人てとても凄いと思う。ポテンシャル能力は凄い。最近企業のトップにビジョンを明確にできる外人を用いるところを増えているが、実はこれってかなり良い手なのかもしれない。


以上
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by ma2mura | 2005-04-27 18:18 | 考えたこと

問題が起きてから対処

 「問題が起きてから対処」


 先のことを考えてもしょうがない問題が起きてから対処すれば良いではないかとおばさんに言われた。正しいのかもしれないが、僕は認めたくない。

先のこと
 どんなに先の事を考えても、未来は予期せぬ事が起こる。だから先の事をいくら考えてもしょうがない。だから、問題が発生した時に対処できるように自分を鍛えておけば問題ないのだ。刹那主義ということなのだろうか。会社にいた時も何度か言われた事が、具体的なロードマップは建てられないとの事だった。

問題が発生してから
 色々考えても何が起こるかわからない。問題が発生してから対処するのがベストなのだそうだ。だが、問題というのは発現してしまった時はもう通常の対処方法では対処できなくなっている事が多い。簡単に言えば問題が起こり死んでしまった時などだ。この論理で行くと、世の中は誰かが死んだりしなければ問題は解決しないということになる。

将来の予測
 将来の予測は本当に立たないのだろうか。完璧な計画を立てる事はかなり難しいかもしれないが、将来をある程度予測する事は可能ではないだろうか。ありがちな避難の仕方として、一時点で立てた計画を未来永劫正しくなくてはなくてはならないという考え方がある。将来への予測は、定期的に計画を修正してより正しいものを作っていくことが重要であるように思う。

ライフプランニング
 最近FPとかが話題になってたりするが、その考え方を利用すればある程度の将来設計ができるように思う。まずは、自分が予想するイベントを時系列上に並べ、それに基づき必要なお金の計画を立てるという方法をとる。計画のメリットは自分の目標を設定できて努力の達成が分かりやすい点だ。

何が起こるか分からない
 全く分からない事はないように思う。統計的な情報を使えば、ある程度のリスクを予測する事ができるだろう。それに基づきリスクへの対処を明確化する。何が起こるかわからないというのは不安になる事だと思う。これを明確化することで不安を解消する事ができ、いざ物事が起こった時にも余裕を持って対処できるのではないだろうか。

リスクマネジメント
 とっさに正しい判断をすることができる人間は限られている。しかもチームプレイを行う必要がある時は事前の準備がないと余程のリーダーシップ性がないと難しい。しかし、時間をかけて色々な資料を組み合わせ何か起きた時の対処方法を考えておく事は普通の人にもできることだ。


 言葉でどれだけ説明してもわからないことは多々ある。やはり問題が起こってからでないと人は意味を理解できないのだろうか。


以上
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by ma2mura | 2005-04-26 17:13 | 考えたこと

中毒

 「中毒」


 様々な中毒が世の中にはびこっている。仕事中毒、Sex中毒、運動中毒とか健康中毒とか全部中毒だそうだ。ちょっとしたことでも中毒になってしまうのかもしれない。

一心不乱
 中毒と聞くとそれなしでは生活できないようなイメージを覚える。仕事なしではだめだとかSexなしでは生活することができないとかだ。仕事に励むことは決して悪いことのようには思えない。しかし、仕事なしには生きていけないぐらいに仕事に没頭することはどうなのなのだろうか。それは正常であるといえるのだろうか。

現実逃避
 嫌な現実が存在していて、それに対して前向きに取り組むことができなく、一見正当なことに熱中することで現実逃避を行っている状態を中毒というのではないだろうか。熱中することで本来しなくてはいけないことから逃げている状態なのではないか。一時的に、疲れて逃避することは悪くないように思うが、それが継続的に続くのは問題のように思う。

周りが被害を受ける
 本人は中毒になることで問題からの現実逃避を行えているために、しばらくは安定しているだろう。周りからは中毒になっている人の状態は薄々気が付いていることが多いだろう。そして、中毒になっている人が逃げている問題は、周りの人への負担になってしまう。逃げた人がいる戦場ほど士気が下がり、士気を維持していくことに労力が必要となる。


 ストレスの多い現代において、少しぐらいの中毒は許されるのかもしれない。自覚のない中毒は周りに辛い思いをさせてしまうのかもしれない。


以上
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by ma2mura | 2005-04-24 00:04 | 考えたこと

甘える人と甘やかす人

 「甘える人と甘やかす人」


 甘える人は、甘やかす人がいないと成立しないのだ。だから、甘える人の裏には必ず甘やかす人がいるのである。


甘やかす人
 自分に自信がなかったり、自分を諦めている人が甘やかすのではないだろうか。自分にこれといってしたいこと等がないため、それを甘える人のために行うのだ。甘える人を甘やかすために日々努力することを生き甲斐とするためなのではないだろうか。人を助けるということは、社会通念上一見正しいことのように見えるからだ。

悪いことだとして
 甘やかす人は、その人を助けることが目的ではなく甘やかすことで自分が必要とされているということを自覚したいがために甘やかしているように思える。甘やかすことによってその人に悪影響を及ぼしていたとしても、それは目的とは関係がないので甘やかすことをやめないのだ。そして、それは一見良いことのように説明することができる。

甘える人
 人は一度甘い汁を吸うとそこから抜け出すことはかなり難しい。甘えていることを自覚していないタイプの人がいる。これは生まれてから、ずっと甘えていたために甘えている状態が普通な人だと思う。自覚があれば、甘えることのできる限界点などをわかって上手く使うのかもしれないが、それすら考えることができないでいて周りからの助言の意味が分からない人が多いと思う。

独り立ち
 甘える人の方が先に独り立ちしようとする可能性が多いだろう。自分が甘えている環境にいることに気が付き、それで独りで生活できるようになりたいと思い始めるだろう。こうした時に、甘やかしている人は、それを妨害しようと試みる。それは甘やかしている人は、甘やかすことが生き甲斐であるからだ。生き甲斐がなくなって寂しくなってしまうことを恐れているからだ。


 甘えて育った人が目立ってしまうことはあるが、実は同じくらいに甘やかしている人も問題なのかもしれない。引き離そうとすると意味不明の論理を展開し始めるようだ。


以上
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by ma2mura | 2005-04-23 01:08 | 人について

いじめは悪か

 「いじめは悪か」


 ここで話題にしているのは学生時代のいじめのこと。いじめられている人にとっては悪だと思う。しかし、将来的なことを考えるとそれは少し違うのかもしれない。

校内暴力
 バブル期に学生だった人の世代では、不良がいてそれを取り締まる学校の先生がいた。そして、その時に問題視されていたのが先生による体罰や理不尽な校則だった。それは先生が悪役となり生徒を束縛し、生徒はそれから自由を勝ち取ろうとする。これが一つの目的であったように思う。しかし、ただの暴力教師も存在する危険性がある。その危険性があるため現代では体罰が禁止されているように思う。

いじめ
 現代は生徒にとって圧倒的に有利な立場である先生からの束縛を受けないようになった。しかし、生徒間の力関係が自由と束縛の関係を作り出しているように思う。人は体格の差や得意分野の差がある。それらが人の関係に強者と弱者を作るのではないだろうか。つまり、相対的な関係が起因しているので個性が存在する以上いじめはなくなることはないだろう。

何かを学ぶチャンス
 悪いことばかりではないように思う。いじめる側が学ぶことは、力を持つとそれは簡単に悪い方向へ使うことができるということだと思う。そして悪い方法へ使うことにより、自分にどんな悪いことが返ってくるのかを学ぶチャンスをある。いじめられる側は、強者に立ち向かうことを学び強くなるチャンスのように思う。

 とは言っても体罰やいじめは悪いことだと思う。最近のいじめは陰湿で大変そうだ。ただ幼少の頃に少し悪さというものをしないと悪いことの意味を理解できないのかもしれない。


以上
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by ma2mura | 2005-04-22 01:46 | 考えたこと

自立心

 「自立心」


 小学生だった頃から自立心を育てる教育を受けていた。しかし、僕には何故自立しなければいけないのかが理解できなかった。

必要なのか
 転んだら自分一人だけで立たなくてはいけない理由が分からなかった。一方では困っている人を見たら助けるように教わっているのに、自分の時は一人で立たなくてはいけないらしいのだ。なんとなく正しいことは分かっていたが、昔からこの疑問を答えを出すことができなかった。

助け合い
 自分の余裕がある時は困っている人を助けてあげていれば、自分が困っていると助けてもらえる。これが相互扶助の関係であると思う。相互扶助の関係は、人と人とがつながりを持つチャンス。これを利用して仲良くなることもしばしばあるだろう。

自立心
 人に頼らず一人で何でもすることができるように考えることを言っているのだと思っていた。これは間違いであるように思う。全てのことを一人でできるということは孤独を意味し、それはとても寂しいことのように思う。ある程度の他人への依存は人が生きていく上で必要なことのようだ。

助けられない
 適度に自立して余裕がなくては人を助けることができないのだ。自分で立つこともできない人が、人を助けようとしてもそれは迷惑でしかないように思う。自立してなく人を助けられない人は、助けてもらうことしかできない。それは度が過ぎれば迷惑でしかなくなる。


 自立心がないひとは人に迷惑をかけてしまう。自立というのは余裕を持っていて人を助けることができるということなのだろう。


以上
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by ma2mura | 2005-04-21 21:27 | 考えたこと

宣戦布告をするかしないか

 「宣戦布告をするかしないか」


 今世間を騒がせているライブドアと楽天を見ていて色々と思うところがある。ライブドアの日本放送に関する宣戦布告とも取れるプロモーションについてだ。ローマ時代のカエサルとアウグストゥスの関係に似ているのではないだろうか(塩野七生のローマ人物語での二人しか知らないが)。


公開して進める
 カエサルは何をやるのか公開して進めていくやり方をとった。カエサルの考え方は先進的だっただの周りに説明する必要があったのだろう。面白いことを思いついたら公表したくなるのは技術者の性分なのかもしれない。そしてカエサルが考えた新しいアイデアは、革命的なことだったと考えられる。そして、カエサルは殺されてしまった。

知られないようにして進める
 アウグストゥスの進め方は、多くの人に自分の政策をなるべく知られないようにして勧める方法をとった。カエサルによって公開された先進的なアイデアは、正しいことを人々は感じていたのだが自ら望んで受け入れる勇気を持ち合わせていなかったのだろう。それをアウグストゥスは、騙しながら実現してくれたのだと思う。

死の覚悟
 グラックス兄弟の事もあり、先進的な考え方を公開して進めることは死を覚悟しなければいけないことをカエサルは知っていたように思う。そのためか常に後悔しないような生き方をしているように見える。日本の歴史上の人物いえば、新しいことを初めて殺されるのは織田信長がいるだろう。現代では殺されるようなことはないとは思うが、表舞台にはたてなくなるのかもしれない。

みんなのために
 カエサルがアウグストゥスを選んだ理由は、国家への忠誠心が強いことがあるだろう。知られないように物事を進めるということは、チェック機構が働かないことを意味する。このため、個人の忠誠心に全てが委ねられる。天才カエサルはそこまでよんでの人選だったように思う。


 現代要求されているのはガラス張りの政治と言われている。古代より高度な技術が要求されることになる。


以上
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by ma2mura | 2005-04-11 16:27 | 考えたこと

不幸を押しつける人

 「不幸を押しつける人」


 知り合いに若い頃苦労していたにも関わらず、不幸続きでようやく幸福になれた人がいる。様々な問題を前向きに考え幸福をつかみ取った人だ。

自信になっている
 困難な問題を一つずつ前向きに取り組み、逆境をものともせず問題の解決を一人で行ってきたようだ。聞いているだけで大変さが伝わってくる。問題を解決してクリアしていったことが自分への自信につながっているようだった。きっと血がにじみ出るような努力に違いない。

困難な問題
 問題も多岐に渡っているようで、仕事・恋愛・家庭・子供等の様々な種類の問題に対して解決の努力を一人で行ってきたようだった。問題は色々あるがどれもが困難で難しく非常に解決には努力の必要のある問題だったようだ。

問題を大きくする
 とらえ方次第で問題とは大きくしたり小さくしたりすることができるように思う。その人は、大きな問題に取り組んできたと思っていたのもあるし、自分の取り組み方が下手なので問題が大きくなってしまったこともあるだろう。つまりその人が困難な問題を作ってしまった可能性が高いと思う。問題を上手く解決する人は、困難な問題だとも気が付かずこなしてしまう。

一人で
 実家の両親や兄弟は、ちょっとしたお坊ちゃまお嬢ちゃまのような感じの人たちでぬくぬくと育っていたため、頼りにすることができなかったようだ。事実か分からないが実家の家族の中で自分だけが、家族の身勝手な理由で苦労する羽目になっていたと感じていたようだ。

因果応報
 自分のやっていることは周りが鏡のように反射すると言っていた。だから実家の家族がぬくぬくとやっていれば、それなりの報いが返ってくると言っていた。それは一見正しいことのように思えた。その人は実家の家族が苦労せずにぬくぬくと生活をしているのを嫉んでいるかのように見えた。

不幸の押しつけ
 そして、その人の心の奥底で「あいつらも同じぐらい苦労しろ」という感情が見え隠れしていた。そしてチャンスが到来する実家の兄弟達に問題が起こったのだ。その時より困難な人生を歩んでいた自分の経験を生かすことができると思ったのだろう。彼らの相談に乗ることになった。そう、その人がやったことは今までの自分が問題を大きくしてきたようにして、実家の人たちの問題も大きくしていくことだった。


 ちょっと偽物の問題を解決してきた人が、自分の不幸と同じ目に周りを遭わせようとするように思う。本当に困難な問題を解決してきた人は、なるべく自分と同じ不幸な目にはあわせないように努力すると思う。


以上
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by ma2mura | 2005-04-10 09:37 | 人について

どんなほめことばにも惑わされない人間でも、自分の話に心を奪われた聞き手には惑わされる。

 「どんなほめことばにも惑わされない人間でも、自分の話に心を奪われた聞き手には惑わされる。」


 どこの誰だかは知らないけどジャック・ウッドフォードの言葉。

話を聞いてくれる
 好きな人ができれば、興味のない話題でも興味深そうに聞くようにすることがあるだろう。自分の話を楽しそうに聞いてくれると嬉しいものだ。人は自分の話を関心を持って興味深く聞いてくれる人に関心を寄せることを知っているからだと思う。

重要視
 人に認められたいという気持ちなど、誰もが自分のことを重要視して欲しいと心の奥底で願っている。そして自分の興味を持っている事柄について、話した相手がえらく感動し始めたらどうだろう。心を奪われ感動をし始め、自分のまねを始めたらどう思うだろう。関心を寄せずにはいられないだろう。

相手を評価する
 人には評価すべきところは必ずある。心底それを評価することができれば、少しばかり下心があったとしても、知っていながら下心にのって期待に応えてしまう。そして下心を持っている人も、相手を心底評価すれば悪い風にはできないように思う。最初は下心があったとしても、その関係は一時的には終わらずに持続するように思う。


 きちっと相手を評価することが仲良く円滑に物事を勧めるこつのように思う。

以上
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by ma2mura | 2005-04-07 07:17 | 面白いと思った言葉



色々考えたことのきろく
by ma2mura
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