ぶきっちょなんでも分解屋さん

スキー&スノーボード2004-2005

カテゴリ:考えたこと( 101 )

最初

 「最初」


 物事には必ず最初がある。仕事や車や女など全てにおいて最初があり、それらはその後の人生に大きく影響を与えることになる。

最初
 何かを始めるときには、絶対に最初が存在する。この最初というのはその後に続く状態よりも非常に特別な時間になることが多い。この特別な時間は、その後に続く時間をどのように過ごすのかを決めてしまうことがあるのだ。最初の時間がつらい印象を受けてしまうと、その後の時間が辛い時間になってしまったりその後の時間がなくなってしまうことすらある。

普通
 たいてい最初の印象がそのことにたいしての普通になってしまうことが多い。最初の印象が楽しければ、それが普通だということになりその後に続く時間も楽しいはずということになる。逆もしかりである。つまりたいていの場合は最初が普通になるということ。だから最初というものは特別だと考えられる。

覆す
 一度普通だと思ってしまったことを覆すのは非常に難しい。時間という物は恐ろしいもので、普通だと思っている時間が長ければ長いほど難しくなってくる。時間が長くなるということは、信じてしまって疑いを持つことをしなくなってしまっていることが多いため。それと、その費やした時間を否定されてしまうと辛くなってしまうためだ。

健忘症
 たいていは最初の印象が大きく残るが、健忘症にかかっている人はこの限りではない。最初が特別なな理由は、緊張感がありその後に続く時間よりも記憶に強烈な印象与えるからだ。しかし、その印象を忘れてしまっては最初が特別であることは維持することができない。健忘症にかかっていれば、過去のしがらみからの束縛を逃れることができてしまう。そして最初が何度も訪れることになる。


 最初というのは特別な時間でドキドキしてしまう。その時間を大切にすることでその後の時間の過ごし方が決まることが多い。大事にしましょう。


以上
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by ma2mura | 2005-05-22 14:29 | 考えたこと

文化の進化

 「文化の進化」


 小学生の時社会の時間に習ったことだ。同じ人間なのに文化が進化するとはどういうことなのかわからなかった。

文化とは
 今でもあまり分かっていないが、昔はもっとわかっていなかった。自分の周りにある文化というものの存在があまりにも身近過ぎて気が付くことができなかったからだ。年をとると、色々なコミュニティーがあること知るようになり、そのコミュニティー同士での違いがあることに気がつき始める。それが、そのコミュニティーでの文化だということだと思う。社会の時間に習ったことはもうちょっと大きな文化ということかな。

知識の蓄積
 小さなコミュニティーは、なくなってしまうことが考えられそれを記憶することは難しい。しかし、持続性のあるコミュニティー、例えば国や村や企業等の長命なコミュニティーは知識の蓄積がある。コミュニティーも長生きするために色々なものを作る。戒律や暗黙的なルールがある。歴史まで残るかは難しいが、経験による知識は蓄積される。

一人ではできない
 現在の社会を見れば一目瞭然だが昔よりも断然便利になっている。例えば携帯やコンビニや車等があるが、これらのサービスを提供してくれる人々がいてこそ便利でいることができる。またこれらの便利なサービスを提供してくれる人も、お金を払えばすぐに食料が手に入ることを保証されているから自分のサービスに専念することができる。

進んだ考えの浸透
 その時に正しいと考えられたことがゆっくりと多くの人の間に浸透されていくのではないだろうか。いかに正しいことと言えども、現状と全く異なっていればいるほど本当に理解するのに時間がかかる。多くの人が信じ始めれば理解しなくとも浸透する。


 生活の道具だけではなく考え方も進化することに小学生の時に気が付かなかった。


以上
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by ma2mura | 2005-05-18 06:53 | 考えたこと

いらないプライド

 「いらないプライド」


 プライドを持つことは悪くないことだとは思う。しかし人が素直に行動できない原因の一つに、いらないプライドというのがあるようにも思う。

人より優れていること
 プライドとは人よりも優れていることについて発生するように思う。多くの人の間で何かをしているときに、他人と自分の違いについて気がつき始める。ポジティブな考え方をしている人であれば、真実はさておき自分が優れていることに思い始める。自分が気が付かなくても、他人に褒められていると、途中から他人よりも自分は優れていると思い始める。

他人に影響される
 人より優れていることに気が付きプライドを持ち始めた人は、それを維持したくなる。けなされたりないがしろにされたりすることに敏感になり始める。プライドは元々他人よりも優れていることなので、逆に言えば他人によってあっさりなくなってしまう可能性があるのだ。だから、プライドは他人を巻き込んでしまう。

努力
 人は心地よいプライドを維持するために色々な努力をする。もっとも強固に維持する方法はより修練を積みプライドを否定されないようにするのだ。これは前向きな努力の仕方だが、後ろ向きな方法の方が簡単に実行することができる。プライドを傷つけた人に対して攻撃に迫害などをする行為等だ。

歪んだ行動
 多くのことよりもプライドを維持することの方が優先される。最初はプライドを維持するための小さな嘘から始まり、プライドが邪魔して不本意な行動をとらざるを得ないことになる。これが人の矛盾を作りだしている一つなのかもしれない。本心で思うとおりに行動できない。


 年をとるとよりプライドが邪魔になる。


以上
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by ma2mura | 2005-05-16 22:38 | 考えたこと

小さな迷惑の蓄積

 「小さな迷惑の蓄積」


 多くの人は、他の人に少しずつ迷惑をかけながら生きている。全く迷惑をかけていない人はかなり少ないだろう。

大きな迷惑
 いつも大きな迷惑をかけてしまう人は、周りの人に迷惑をかけてしまっていることを自覚していることが多い。自覚している人は、周りへの感謝をある程度しているだろう。周りも大きな迷惑ほど、その人を怒りやすくその場でストレスを解消できることが多いように思う。

小さな迷惑
 文句を言うほどでもない小さな迷惑は、やはり本人に直接文句を言うことはしない。しかし、本人が気が付かない小さな迷惑は、繰り返し実行されることが多く改善されることは少ない。そして、その小さな迷惑は迷惑をかけられた人の心の奥にゆっくりと蓄積される。

ゆっくりと
 小さな迷惑がゆっくりと蓄積された場合、大きな迷惑に比べ問題が明確ではなくなることが多いように思う。だんだんと迷惑をかける人を嫌いになってくる。こういう風に嫌いになった場合、何故その人のことが嫌いなのか嫌いになった本人も説明できないことが多い。それは、色々な種類の小さな迷惑が混ざってしまってどれがどうと言えないからではないだろうか。


 本人も周りの人も、何故その人が嫌われているか説明ができない。分からないので改善のしようがないのだ。ゆっくりと蓄積されたものは、ゆっくりと解消していくしかないのだろう。


以上
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by ma2mura | 2005-05-10 19:57 | 考えたこと

村社会からの脱皮

 「村社会からの脱皮」


 昔から日本人は村社会の住人で基本的には個人よりも社会を重要視していた。現代は、そういった村社会を毛嫌いし個人主義に移り変わっているように思う。

村社会
 欧米文化との比較で多く出てくるのは日本は村社会であるということだと思う。一人より全体を優先することがかっこよかった時代だ。村が一体となって何かをしていた時代は、このような考え方で効率的に動作したのだろう。何より楽しいのはみんなで何かをした時に感じる一体感だと思う。むかしの人はこの一体感により自分の意味を見出し生き甲斐を作っていたのだろう。

村社会からの脱皮
 地域での行動を毛嫌いしているように思う。地域でのイベントに強制され嫌々出て行く。そんな環境では一体感など得られることもなく苦痛に感じるしかない。その人数が多くなれば村社会は解体されてしまう。そして、嫌なことから逃げて残ったものは家族と少ない友人だろう。そんな環境で生き甲斐や生きていく意味を探すことは難しいように思う。

集団に属する
 人は社会性のある動物でこれから逃れることは難しいように思う。昔の人は村という集団に属していたが、現代人は村に属するのをやめ始めている。地域社会が重要であると言うことに気が付いている人もいるが、ほとんどの人がその本当の意味を理解しておらず、それが虚無感につながり寂しさになっていることに気が付いていないように思う。

ブログ
 生きていくことがうまい人は本能的にそれを知っているのか、自然と自分から自分を必要としているコミュニティーを探し出しそれに属している。その事で、自分の生き甲斐や生きている意味を作り出している。ブログはただの情報発信のための技術ではなく、コメントやトラックバック等をすることにより一体感を作り出して、村社会が提供していた機能を補うものなのかもしれない。


 人が地球に生まれて長い間集団生活を営んできた。現代になってそれを急に止めようとしても遺伝子がそれを食い止めてしまう。逃げられなければ、それを利用するしかないのかもしれない。


以上
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by ma2mura | 2005-05-08 21:07 | 考えたこと

下を見ればきりがない

 「下を見ればきりがない」


 上を見ても下を見てもきりがない。だから上を向いていた方が前向きでいられるように思う。

自分の上下
 世界を見渡せば、日本人と言うだけで多くの幸せを享受されている環境にあると思う。世界を見渡せば、もっとお金持ちな人々も多くいる。世界を見渡せば、何のために生きているのかわからず餓死して死んでいく人達もいる。上を見ても下を見てきりがないぐらいに世界は広がっているように思う。

もっと悪い環境の人はいる
 こういった発現にはその後に続く言葉が二つに分かれるように思う。一つは、「まだましな方だから頑張ろう」という前向きな発言。もう一つは、「だから我慢しよう」という後ろ向きな発言だ。あまり大差がないように思われるが、大きな違いがあるように思う。

まだましな方だから頑張ろう
 どんなに立たされた立場が悪くなろうとも、もっと困難なこと環境にいて頑張っている人がいると思えば、頑張ることができる。上を向いて自分を向上させようと努力している、そういう前向きな言葉。

だから我慢しよう
 まだまだ悪い環境の人は沢山いるから、自分はましな方で特に環境を良くしよう等と考えなくても良いという考え方。向上しようとしなければ、重力によって下へ下へと導かれていくことも知らずに落ちていく。現状維持はある程度の向上心がないとできないように思う。自分がどれだけ落ちようが下にはまだまだ数え切れないほどの人がいる。

もう一つ
 自然体とかニュートラルとかの人がいる。続ける言葉は「そんなのどうでもいいじゃん」になるのかもしれない。ある意味悟りに近い考え方なのかもしれない。昔いた「パフィー」のような気の抜けた感じの人達だ。周りとは関係なく自分の道を持っている人でないとこれはできないのかもしれない。


 悲しい言い訳をしないで欲しい。上を向いて歩いていきましょう。

以上
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by ma2mura | 2005-04-29 01:51 | 考えたこと

ビジョン

 「ビジョン」


 日本人は将来のビジョンを考えるのが苦手なのではないだろうか。

江戸時代の長屋から
 江戸時代にあった長屋は、計画性を持って作られたものではない。人が増えるに従い適当に継ぎ足されたものらしい。交通の便とか考えずにその時に必要な分だけ継ぎ足されたので、できあがってみればむちゃくちゃなものができてしまったようだ。現代でも適当に作られたとしか見えないものが残っている。それは、東京の鉄道だ。むちゃくちゃに適当に作られたのか、利用するのが凄く難しい。

外来のものから
 長屋に対して、京都の町並みは中国に習って計画的に設計された都市であると思う。日本の外にある具体的な都市を見本として作成された。ここから分かることは、都市化する時に具体的に何をしなければいけないのかビジョンを明確にできないからではないだろうか。中国に行ってできあがったものを見て、それをまねることはできたわけだ。

将来のビジョン
 誰でもが考えつくようなありきたりな目標を設定することはできるかもしれないが、明確なビジョンを持つことができるリーダーがいるとは思うがかなり少ないように思う。計画が行き当たりばったりか、抽象的なことしか言えない人がリーダーであることが多いように思う。つまり、リーダーも直前になるまで何をすれば良いか明確できないと言うことだと思う。

批判家
 シニカルで後ろ向きな批判家が多いように思う。リーダーがせっかく少しは明確なビジョンを提示することできたとしてもそれを批判する人が多い。本当に将来のことを考えるのであれば、提示されたビジョンをより具体的にするように切磋琢磨してより良いものを作るように関係者が振る舞うのが正しい姿のように思う。

透明性
 どのように物事を進めていくのかを明確にすることで人々が安心を覚える。現代のように犯罪が増えてきた時代。騙されないためにも、様々なことに随時監視する必要があるように思う。具体的なビジョンを聞くことが不安を取り除くために有効な事だと思う。それが透明性につながる。


 それでも高度成長できた日本人てとても凄いと思う。ポテンシャル能力は凄い。最近企業のトップにビジョンを明確にできる外人を用いるところを増えているが、実はこれってかなり良い手なのかもしれない。


以上
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by ma2mura | 2005-04-27 18:18 | 考えたこと

問題が起きてから対処

 「問題が起きてから対処」


 先のことを考えてもしょうがない問題が起きてから対処すれば良いではないかとおばさんに言われた。正しいのかもしれないが、僕は認めたくない。

先のこと
 どんなに先の事を考えても、未来は予期せぬ事が起こる。だから先の事をいくら考えてもしょうがない。だから、問題が発生した時に対処できるように自分を鍛えておけば問題ないのだ。刹那主義ということなのだろうか。会社にいた時も何度か言われた事が、具体的なロードマップは建てられないとの事だった。

問題が発生してから
 色々考えても何が起こるかわからない。問題が発生してから対処するのがベストなのだそうだ。だが、問題というのは発現してしまった時はもう通常の対処方法では対処できなくなっている事が多い。簡単に言えば問題が起こり死んでしまった時などだ。この論理で行くと、世の中は誰かが死んだりしなければ問題は解決しないということになる。

将来の予測
 将来の予測は本当に立たないのだろうか。完璧な計画を立てる事はかなり難しいかもしれないが、将来をある程度予測する事は可能ではないだろうか。ありがちな避難の仕方として、一時点で立てた計画を未来永劫正しくなくてはなくてはならないという考え方がある。将来への予測は、定期的に計画を修正してより正しいものを作っていくことが重要であるように思う。

ライフプランニング
 最近FPとかが話題になってたりするが、その考え方を利用すればある程度の将来設計ができるように思う。まずは、自分が予想するイベントを時系列上に並べ、それに基づき必要なお金の計画を立てるという方法をとる。計画のメリットは自分の目標を設定できて努力の達成が分かりやすい点だ。

何が起こるか分からない
 全く分からない事はないように思う。統計的な情報を使えば、ある程度のリスクを予測する事ができるだろう。それに基づきリスクへの対処を明確化する。何が起こるかわからないというのは不安になる事だと思う。これを明確化することで不安を解消する事ができ、いざ物事が起こった時にも余裕を持って対処できるのではないだろうか。

リスクマネジメント
 とっさに正しい判断をすることができる人間は限られている。しかもチームプレイを行う必要がある時は事前の準備がないと余程のリーダーシップ性がないと難しい。しかし、時間をかけて色々な資料を組み合わせ何か起きた時の対処方法を考えておく事は普通の人にもできることだ。


 言葉でどれだけ説明してもわからないことは多々ある。やはり問題が起こってからでないと人は意味を理解できないのだろうか。


以上
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by ma2mura | 2005-04-26 17:13 | 考えたこと

中毒

 「中毒」


 様々な中毒が世の中にはびこっている。仕事中毒、Sex中毒、運動中毒とか健康中毒とか全部中毒だそうだ。ちょっとしたことでも中毒になってしまうのかもしれない。

一心不乱
 中毒と聞くとそれなしでは生活できないようなイメージを覚える。仕事なしではだめだとかSexなしでは生活することができないとかだ。仕事に励むことは決して悪いことのようには思えない。しかし、仕事なしには生きていけないぐらいに仕事に没頭することはどうなのなのだろうか。それは正常であるといえるのだろうか。

現実逃避
 嫌な現実が存在していて、それに対して前向きに取り組むことができなく、一見正当なことに熱中することで現実逃避を行っている状態を中毒というのではないだろうか。熱中することで本来しなくてはいけないことから逃げている状態なのではないか。一時的に、疲れて逃避することは悪くないように思うが、それが継続的に続くのは問題のように思う。

周りが被害を受ける
 本人は中毒になることで問題からの現実逃避を行えているために、しばらくは安定しているだろう。周りからは中毒になっている人の状態は薄々気が付いていることが多いだろう。そして、中毒になっている人が逃げている問題は、周りの人への負担になってしまう。逃げた人がいる戦場ほど士気が下がり、士気を維持していくことに労力が必要となる。


 ストレスの多い現代において、少しぐらいの中毒は許されるのかもしれない。自覚のない中毒は周りに辛い思いをさせてしまうのかもしれない。


以上
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by ma2mura | 2005-04-24 00:04 | 考えたこと

いじめは悪か

 「いじめは悪か」


 ここで話題にしているのは学生時代のいじめのこと。いじめられている人にとっては悪だと思う。しかし、将来的なことを考えるとそれは少し違うのかもしれない。

校内暴力
 バブル期に学生だった人の世代では、不良がいてそれを取り締まる学校の先生がいた。そして、その時に問題視されていたのが先生による体罰や理不尽な校則だった。それは先生が悪役となり生徒を束縛し、生徒はそれから自由を勝ち取ろうとする。これが一つの目的であったように思う。しかし、ただの暴力教師も存在する危険性がある。その危険性があるため現代では体罰が禁止されているように思う。

いじめ
 現代は生徒にとって圧倒的に有利な立場である先生からの束縛を受けないようになった。しかし、生徒間の力関係が自由と束縛の関係を作り出しているように思う。人は体格の差や得意分野の差がある。それらが人の関係に強者と弱者を作るのではないだろうか。つまり、相対的な関係が起因しているので個性が存在する以上いじめはなくなることはないだろう。

何かを学ぶチャンス
 悪いことばかりではないように思う。いじめる側が学ぶことは、力を持つとそれは簡単に悪い方向へ使うことができるということだと思う。そして悪い方法へ使うことにより、自分にどんな悪いことが返ってくるのかを学ぶチャンスをある。いじめられる側は、強者に立ち向かうことを学び強くなるチャンスのように思う。

 とは言っても体罰やいじめは悪いことだと思う。最近のいじめは陰湿で大変そうだ。ただ幼少の頃に少し悪さというものをしないと悪いことの意味を理解できないのかもしれない。


以上
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by ma2mura | 2005-04-22 01:46 | 考えたこと



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by ma2mura
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