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スキー&スノーボード2004-2005

カテゴリ:考えたこと( 101 )

働かざるもの食うべからず

 「働かざるもの食うべからず」


 働かなくても食っていける世界がニートという世界で構築された。ニートでいることは問題なのだろうか。


働かなくても良い人
 それが、戦後の経済成長を支えてきた時代の人達のがむしゃらな努力によって、その人達の子供は裕福になり、働かなくても生活できるようになった。努力した人達の願いは叶ったことになる。裕福になり働かなくても良い環境にいる場合、働かなくても良いのだろうか。

お金の重要性
 働かなくて良い環境に属すると、お金の価値というものを理解することが難しくなる。お金を稼ぐということが、どれくらい難しいことなのか知らないからだ。お金はもらえて当たり前なのだから、より多くの金額を要求することも考えられるだろう。そして、お金がもらえなくなった時のことも考えられないだろう。

サービスの提供への感謝
 お金を持っていても、お金でものを売ってくれる人がいなければ何も変えない事実。これを知らない人は、サービス提供者に対して感謝の心を持たないことになる。この理解がなければ、お金の切れ目が縁の切れ目になることだろう。この国は、傍若無人な振る舞いをされてまで、サービス提供しなければいけないほど、貧乏ではないことが多いだろう。

人との係わり合い
 仕事で一番大変になるのは、人間関係の構築であると思う。仕事が出来たとしても、人間関係が上手く行っていなければ、仕事が回らなくなったり、仕事が長続きしなかったりする。そのため、人のことを考えることを覚え、プライベートな時間でも人に思いやったりすることができるようになるのではないだろうか。

生きる意味
 普通の社会人は人生の多くの時間を仕事に費やす。義務教育や大学が仕事に就くための勉強だと考えるとほとんどが、仕事のために存在している。この時間を仕事以外に使うと考えたときに、自分のしたいことを維持できる人はどれくらいいるだろうか。どんなことをしても、ただの遊びにしかならない。ゲームで言えば無敵モードである。そんなゲームって楽しいのだろうか。虚しくなる可能性大である。


 ずっと遊んでいるというのはとても才能が必要となる。遊んでくれる友達も必要となるが、あまりいないだろう。結論としては、働くことは人生に必要なことだと思う。


以上
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by ma2mura | 2007-03-03 16:11 | 考えたこと

働かなくても食っていける社会

 「働かなくても食っていける社会」


 アンカテ(Uncategorizable Blog) - 働かなくても食っていける社会がもうすぐやってくるよ

 凄く良く考えられていると思う。本当にそういう社会がやってくれば良いなぁ。でも現実的には難しいと僕は思ってしまう。

優秀な人
 優秀な人がなんでもやってしまえば、多くの仕事はあっという間に終わる。優秀な人がいたとしても、その優秀な人がすべての仕事に対して優秀であるとは考え辛い。例えば、Googleの創始者が経理とか得意だとは考えにくい。きっと人を雇っていると推測できる。会社を運営していくには多くの種類の才能が必要になってくるものだと思う。だから、多くの人を必要としているのだと思う。

人間関係
 仕事の多くで一番問題となるのは人間関係だと思う。優秀な人ほど気難しい傾向が強いように感じる。直接会社の営利に関係する人以外にも、こういった仕事をする人がやはり必要になってくるだろう。しかも、優秀な人を相手にするには、優秀な人が必要となる。

出会い
 企業と優秀な人との出会いはどこか考えた場合、それはやはり面接なのである。面接が苦手な優秀な人もいたりもすることを考えれば、優秀な人を集めるのはいつの時代も難しいと考えられる。騙されて、優秀でない人を雇用してしまうことも多くの確立で起こってしまう。優秀な人を集めるのは非常に難しい。集められるのであれば、大手の企業は既にやっているだろう。

お金
 優秀な人はそれなりにお金を貰いたがるのではないかと思う。例えば一人で100人の仕事がこなせるのであれば、せめて30人分の給料を欲しがるのではないのだろうか。こうしてしまうとホワイトカラーの人件費は節約できない。もし2人分の給料だったら、100人の仕事ができたとしても、せいぜい5人分の仕事程度しかしないと思う。

まとめ
 優秀な人を集めるのも難しいし、管理も難しそう。そして何より給料を多く払う必要がありそうなので、結局はホワイトカラーの人件費を削減するというのは難しいのではないだろうか。つまり「働かなくても食っていける社会」は、なかなかやってこないように思う。Googleは、単なるウェブ社会の価格破壊をやってのけた企業なのだと認識すれば、既存の企業と大差はないのではないだろうか。


 一応今の大企業は優秀な人が集まっている会社だと思う。それらのホワイトカラーの人件費が何故削減できていないのかが答えだと思う。

以上
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by ma2mura | 2007-02-14 02:12 | 考えたこと

いじめについて

 「いじめについて」


 子供社会において「いじめ」が酷いらしい。いじめは、人にとってどのような意味があるのだろうか。


暴力的ないじめ
 昔のいじめの大半は、暴力によるいじめだったと思う。力の強い人に媚びるという方法もあるが、暴力的ないじめでいじめられないようにするには、体を鍛えるという方法で対抗することができた。とても明快でわかりやすい解決方法で、努力すればそれなりに報われる方法である。

精神的ないじめ
 これは本当に意地悪なのだ。そして精神的なものであるため、少し賢い人はすぐに真似することができるのだ。暴力的ないじめは、真似をするには日々の鍛錬等が必要だったからなかなか真似できなかった。このため、誰もが直ぐにいじめっ子になれる時代がやってきてしまったのだ。

大人のいじめ
 大人になればいじめがない等というのは幻想だと思う。今の会社で、社会人のいじめに関するセミナーを受講された。これは、会社内でいじめを行ってはいけないという趣旨のセミナーだった。つまり、いじめは存在するのだ。また、子供のお母さん間でのいじめがあると聞いている。つまり、それを真似ているのが子供なのではないだろうか。

大人になるためのいじめ
 大人のいじめは、子供よりも慈悲深いようには思うが、お金が絡むためにえげつないいじめが起こる。仕事を回してもらえなくなったり、降格させられたりするのだ。それも、大人とは思えないような幼稚な理由でやってしまう。理性的な大人が少ないのだ。そんな社会で生きていくには、子供時代からいじめに慣れる必要があるのかもしれない。

いじめの無い世界
 誰かがいじめをするとすれば、いじめられることを前提として、いじめに対抗できるように成長しなくてはならない。銃と同じだ。しかし、誰もいじめをしない社会を作ることができれば、それは良い世界だと思う。


 大人になったら、誰も助けてはくれなく、自分で戦わなくてはならない。


以上
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by ma2mura | 2007-01-07 17:03 | 考えたこと

劇場型の世の中

 「劇場型の世の中」


 現代は犯罪や政治が劇場型化し始めていると言われている。理由は何なのかと考えてみた。

犯罪の進化
 犯罪に焦点あてて考えてみると、劇場型化した犯罪は詐欺的なものが多いと思う。詐欺の技術が進化した結果劇場型化したのだろう。劇場型化で不可欠なのは人数である。一人で劇場型化することは難しい。不景気により、犯罪に手を染める必要がある人が増えてしまったところにもあるのだろう。

漫画の影響
 日本の漫画が世界に認められるぐらい素晴らしいものらしい。僕も漫画をそこそこ読むが、会社での世界は漫画とダブってしまうこともある。漫画で良く出てくる馬鹿な上司が、実社会で本当に馬鹿を演じているのだ(本人は気がついていないと思うけど)。そして、漫画に出てくる問題を起こしてしまう。劇場型化しているのは、漫画が高度に現実社会を映し出してしまい、劇場のように見えてしまうのかもしれない。

政治
 漫画や海外ドラマの影響から、それを真面目にやってしまっているのが現状ではないかと思う。平和な日本でだから起こりうる、ある意味での遊びであるように見えてしまう。漫画によくあるような、展開を自でやってしまう。僕が思う解決策は、漫画を読んだ方がよいのではないか?ということだ。社会派の漫画は意外にもさりげなく世の中に出回っている。


 世の中を騙すのは簡単だ。しかし、世の中は馬鹿だが時間をかけて馬鹿なことをしたことに気がつく。その反撃を予測しないと、犯罪者になってしまうのではないだろうか。


以上
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by ma2mura | 2006-07-02 17:50 | 考えたこと

初めての観察の記憶

 「初めての観察の記憶」


 今でも憶えている出席番号3番の女の子が小学生時代に好きだった。その時から、僕のラッキーナンバーは3と決めている。

初めての観察
 自覚する最初に人の観察を始めたのは、小学校の時に好きな女の子がゴシップ好きで、どの子がどの子を好きだというのを聞いて回っていることに気がついたときだ。僕はその時、僕はその時、人は嘘をつくということを学習したばかりで、聞いて回っても正直に話すことは少ないと思っていた。正直に話しているか否かは結局のところわからない。

態度こそ全て
 当てにならない人の言葉を根拠にするよりも、すべては行動に出てしまうのではないかの根拠に基づいて推測をすることにした。この理論から導かれて、誰が誰を好きかというのを考え、彼女に話すと「どうして知ってるの?」との返事が返ってきた。幼い僕の、彼女との会話を増やすという計画は思惑道理に成功したと言える。

行動の理由
 クラスの人達の行動を常にチェックし、不可解な言動がないか確認する。自分が話をしていても、他の人の話を聞いて、その人が何を考えているのかというの常に記憶しておく。こう書くと、大変そうに思うかもしれないが、小学生の会話など馬鹿みたいな会話しかしていない。たいていは、いつもと変わらない話ばかりしているので、努力すれば簡単にできるのだ。そこから、行動の理由を推測していけばある程度の観察は出来てしまう。好きな女の子のために努力するのこそ、労は感じないものだ。

年齢と学べるもの
 年齢に伴って経験しなければいけないものは、決まっているのではないかと思う。小学生の好きな人を当てるのは、小学生が経験不足により感情を見破られないようにする技術が劣っていたから、わかりやすく表に見えてくる。これを始めたのが、社会人になってからだとすると、思っていることを隠すのに優れた人達の思いは観察は難しい。最初のハードルが高くなってしまっている。


 詳細は書かないが定説通り初恋は悲しい結果に終わった。彼女を最後に見たのは成人式の時で、変わらずに恋愛好きな女の子をやっているようだった。


以上
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by ma2mura | 2005-08-20 00:45 | 考えたこと

社会貢献

 「社会貢献」


 自分の好きなことで、本当はしなくても良いことをしているのは楽しい。好きなことやっているが、30歳を越え始めて少し虚しさを憶えた。

自由
 昔は大学生が自由であると言われていた。今では、転職がしやすくなったこともあり会社を辞めても、そんなに問題にならないので、社会人にも多くの自由が出来てきた。学生よりも収入もあるので、やりたいことをやることができる。大人は昔よりも自由になったと思う。

好きなこと
 自由とは自分の好きなことをやっても良いことに近いように思う。自分のために使える時間のことでもあるように思う。自分のためだけの好きなことは、ある程度の年齢を越え始めると虚しさを伴い始める。例えば「30を越えて、まだそんなことやってるの?」という感じだ。特に結婚をしていない場合に、批判の対象となる。なぜだか多くの場合批判するのは既婚者が多い。半分はねたみに近いところがあるのだろう。

社会貢献
 仕事をすることや、結婚して子供を作るというのも社会貢献であるし、もっと直接的には地域のボランティア活動をするのもその一つだ。30歳を過ぎ始める、自分のためだけに好きなことをやっていると、なんだか自分が無意味な人のように感じ始めてきた。自分の好きなことが人の役に立たないからだろう。人が社会性を持つ動物であることを実感している。

意味
 人は生きていることの意味を探すことが好きだ。多くの人の生きている意味は、子供を育てることにあたる。それは人として最大の目標であるからなのだろう。それを否定した人は、生きている意味を見いだすことに苦労することになる。多くの人のために、何か役に立つようなことをすることは非常に難しいからだ。


 社会人になってから有名大学の真面目なサークルのような団体に所属していたことがある。その学生たちは、社会貢献という言葉が大好きだった。今頃その意味が少しずつわかり始めている。


以上
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by ma2mura | 2005-08-14 05:22 | 考えたこと

得意なこと

 「得意なこと」


 人にはいつのころからか得意なことが存在し始める。それは自発的に発生するものもあれば、他の人に褒められたりすることで発生するものもある。

定義される
 色々行動をしていると、自分の個性について自分なりに考え自分を定義することができる。あるいは行動すると多くの人々との関わりを持つことで、他の人から自分の個性を定義されることになる。その定義は、自分の得意分野であったり不得意分野であったりする。その定義を受け入れるかどうかは、自分次第なところが多い。

長い時間
 人から褒められたり、自分の好奇心により突き動かされたりして得意分野は、磨きがかかる。それが長時間に維持されれば十分本当の意味で得意分野になる。時間をかけて形成されたものは、なかなか崩すことができなく、揺るぎないものになり始める。

しがらみ
 長時間育成された得意分野は、自分が好むと好まざるとその分野から離れることが難しい。それは得意分野を生かせば、他の人からの評価を得ることが実績として証明されているからだ。自分としてもあるが、他から見てもそういう得意な分野を持っている人を必要としている人がいる。需要があり、嫌いでなければ流されてしまうことが多いだろう。

逃げる
 未経験なことに挑戦して少しでも失敗したときに、つい得意分野に逃げ込んでしまいがちになる。その得意分野が評価されていればされているほどにこの傾向は強くなる。そのために、未経験なことに挑戦することが少なくなってしまう。歳をとり得意分野が洗練されればされるほどに、この傾向が強くなってしまうのではないだろうか。


 31歳を間近に控え、新しい分野に手を出すことを嫌がっている自分がいることに気がつく今日この頃である。


以上
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by ma2mura | 2005-08-10 02:27 | 考えたこと

ストレスとエネルギー

 「ストレスとエネルギー」


 最近地震が多い。地震は地球のプレートとプレートの摩擦によってストレスがたまり、そのストレスがエネルギーに転換して起こったこと。

活動
 人が動けばそこに摩擦が生じ何らかのストレスが発生する。ストレス無く過ごすことも確かに重要かもしれないが、本当にストレスが無い世界は楽しいのだろうか。僕はそんな世界は、逆に無気力な消極的な破滅に向かう世界なのではないかと思う。つまり退屈な世界なのではないか。ストレスは重要なエネルギー源の一つなのだと思う。

ストレス解消
 仕事などで貯めたストレスを解消するという行為をしているようだが、それはもったいない話なのではないだろうか。車で加速して、ブレーキで加速した運動エネルギーを熱エネルギーに変換して捨てるぐらいに無駄な行為だと思う。しかし、いらないエネルギーをため込むのは確かに危険な行為だ。充電池に例えれば、過充電してしまい液漏れして、充電できなくなる現象と似ているのかもしれない。

転換
 貯めすぎなければストレスをエネルギーに変えることが可能。人が活動すればストレスを生む。ストレスをためれば活動に必要なエネルギー源になり、再び活動への転換ができる。活動的な人のエネルギーの転換の法則なのだと思う。そう、活動的な人はストレスを上手く使っているのだろう。

上手く変換しすぎ
 通常であれば、本当はストレスをため怒りに狂ったりする箇所でも、自分の好きなことにエネルギーを上手く転換してしまい。怒りのエネルギーに使うことが出来なくなってしまうこともある。怒らなければならない場所もあるため、変換しすぎることも危険性が潜んでいる。何事もほどほどに。


 政治や仕事、色々な意味で今日本はストレスを貯めていると思う。改革という方向にエネルギーを向けずに、夜な夜な居酒屋に行ったり、レジャーを楽しむことにストレスの解消を向けていては、前に進めないように思う。現実を見る必要がある。


以上
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by ma2mura | 2005-08-09 02:12 | 考えたこと

かなりの負けず嫌い

 「かなりの負けず嫌い」


 負けず嫌いは必ずしも悪いとは言わない。勝つために努力するというのは良いことのように思う。しかし、勝つためにけ落とすというのはどうかと思う。

レベルアップ
 勝つための努力として己を鍛えることは、非常に素晴らしい行為だともう。人は常に成長を必要としている。それは年齢によって学ぶことがあるためだ。「40にもなってとかあれはないよな」とかいうのが、その証拠だと思っている。学んだ上で、それが嫌で拒否しているのは問題がないが、単に学ぶことをせずに怠慢によって学ばないのは、後々問題が起こることが多い。

誤魔化す
 相手に自分が絶対勝てないと思ってしまった場合、しかし絶対に自分は負けたくない場合、勝負の方法を変えて相手に勝とうとする人がいる。方法を変えたことを上手く誤魔化す技を持っていて、自分の得意分野や言葉の揚げ足を取ってでも勝とうとするのだ。勝つ理由はすべて自分への言い訳に近い。方法は人によって異なるが、最近出合った人の手法は相手に勝っている部分を繰り返し語ることだ。そうすることで、負けたと思った事実を勝った事実で書き換えてしまうのだろう。

認められない
 負けず嫌いは、悔しくて悔しくて負けていることを認めることができない人でもある。負けそうになると誤魔化すのだから、潜在意識的には負けるということを認識しているが、意識的には負けを認めることができない状態でいることが多いように思う。潜在意識と意識の食い違いの歪みは、何かあったときに問題になるだろう。

周りへの迷惑
 負けることに敏感になる。自分が負けそうになると、しつこく人を攻撃したり嫌ったり嫉妬に狂ったりする。これは人の和を乱す行為といえる。しかし、負けず嫌いということを本人は認めない以上、本人的にはそういったことは存在しないことになっている。全ては、周りのせいになる。


 負けず嫌いの人は努力家である。それは高い評価を得てしかるべきだと思う。負けそうになったときに迷惑をかけるのは問題だ。もっと自信を持って欲しい。

以上
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by ma2mura | 2005-08-04 00:53 | 考えたこと

血のつながり

 「血のつながり」


 母方のじいさんの葬式があった。火葬している間、知らないおじさんたちと話していたら、曾祖父が理系であったということがわかった。彼らに言わせれば僕はその血を引いているのだそうだ。

血縁
 あまり詳しくはないが、競馬は血統がかなりその馬の評価につながっているようだ。友人がダビスタとかいうゲームをやっていて言っていた。品種改良のように血を混ぜて、良い馬を使っていくゲームだ。動物は本能に生きているので、遺伝子は非常に重要なファクターになるのではないだろうか。人間ではどうだろうかと考えると、動物と大差ないぐらいに関係するのではないだろうか。

意志
 ある程度の突然変異はあるが馬は血統によって、気性が荒いとか温厚などの性格が決まってくるのだという。環境によって少しは教育することができるかもしれないが、基本的な性格は変えることができないようだ。とすれば、血によって多くの行動がプログラムされていると言えるのではないだろうか。僕が今自分の意志で字を書いてはいるが、これも血によって決められており自分の意志で決めているというのは、錯覚なのかもしれない。

世襲制
 血によってある程度の人格のプログラミングができるのではあれば、世襲制というのもあながち捨てたものではなかったのかもしれない。得意な能力を持っていなくては、成功者になることは難しい。その能力を持った子供であれば、同じ能力を発揮できる可能性が高いと考えることは必然だろう。また、同じ能力や考え方が似ていれば、意思を共有することは難しくない。仲間に加えようと考えるのは自然の流れと言える。

利用
 血によって受け継がれてしまったものは、治すことは困難だ。治すことができないのであれば、上手くつきあっていく、あるいは利用するしかないように思う。長所はある意味短所でもある。その逆もしかりだ。利用できないと言うことはなかなかない。利用方法を知ることが、自分の居場所を見つける行為なのかもしれない。そういう意味では、両親の職業や生活のスタイルは参考になるだろう。


 プログラムされてようがいまいが、どちらであろうとしたいことはしたいし、したくないことはしたくない。それは些末な問題なのだ。


以上
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by ma2mura | 2005-08-03 01:31 | 考えたこと



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